ちょっと前にさかのぼってしまうけれど、ペルー日記。
少しづつ記憶も薄れゆくので、その前に書き留めておかねば、
ということで、ここにまとめてみます。
右に左に話が横道にそれることもあるけれど、備忘録ということで
ご了承ください…。
3月20日
前回の旅で使ったバッグはボロボロになったので、前日に上野で買った
新しいバックパックを背負い、成田空港へと向かう。
「海外の一人旅」は4年ぶり、そして写真を始めてから最初の旅になる。
そもそも、写真をやってみようと思ったのは、4年前にミャンマーに行った
ことがきっかけだった。コンパクトカメラしか持っていなかったけど、
ポケットに収まるくらいの小さな三脚を持って行った。そのときに、知らない
土地を歩く楽しさだけではなくて、その場所にいたときの自分の気持ちや
空気を残せる写真、撮る行為が楽しかった。ちょうど「新しい表現手段を
何かひとつ身につけたい」と思っていた時で、写真が感覚的にしっくりと
来て、改めて勉強してみようと思ったんだっけ。ちょうどそのときにテラウチ
さんに出合ったことも大きかったんだけれど。
さて、そんな前フリはさておき、まずはJAL006便に搭乗し、まずはNYへ。
機内ではひたすらスペイン語の数字を暗記する。ともかく日常生活では
お金のやりとりに関わるだけに、数字の理解はともかく大事。
機内のテレビでは、Discoveryチャンネルで北京オリンピックの番組が流れ
ていた。いま急ピッチで建造されている競技施設の紹介。ウォーターキューブ、
「鳥の巣」のメインスタジアム、中央電視台新ビルなど、莫大な資金を投入し、
最新の建築技術を駆使した建造物の数々…。それから「武士の一分」「007」
を見るんだけれど、途中で寝てしまい、映画は話半分しか覚えていない。
窓から見えるのは、どこまでも続く雲海と、やや黒みを帯びた青空。
その後、何度かのトランジットを経て最初の目的地クスコに向かうんだけど、
道のりはかなり長い。
3/20 11:00 成田 → 11:30 NY(JFK)
18:55 NY(JFK)→ 22:15 MIAMI
23:55 MIAMI →04:25 LIMA (3/21)
06:20 LIMA →07:35 CUSCO
純粋な搭乗時間だけで20時間。乗り継ぎの時間をあわせると約30時間の
移動も終盤、ようやく眼下にクスコの街並みが見えてきた。
「クスコ」は、ケチュア語で「へそ」という意味。この都市は、マチュピチュを創ったインカ帝国の首都であり、太陽神を崇拝するインカ文化の中心地だった。スペインに制服される前は、いたるところに黄金をあしらった宮殿や装飾物が街を埋め尽くしていたという。インカ帝国が崩壊すると、街はスペインによって徹底的に破壊され略奪され、その宮殿や神殿を支えた石組みの上にはキリスト教会が建設された…。
空港の到着口外には、旅行客のネームプレートを掲げたペルー人がひしめき
あっている。自分の名前を探し、ドライバーと合流した。
深呼吸してみる。心なしか空気は薄い気がするけど、気になるほどじゃない。
クスコの標高は3600m。富士山の山頂が3776mなので、大差ない高地に
一気に移動したことになる。富士山の頂上に登ったときは、息苦しくて一歩一歩が
とても重かったっけ…。高山病には注意しなくては。
ホテルが手配してくれたドライバーの車に、スペインから来たと思われる老夫婦と3人で乗車する。今日の宿である「Amaru Hostal」へと向かう。空港の壁いっぱいに描かれた広告は、原色に近いカラフルな色ばかりを使っているあたりはとてもラテンの国、南米らしい。ただ煉瓦や石で建てられた建物はとってもラフだし、かなりボロボロでコンディション悪い車がたくさん走っている。新車を見かけることはめったにない。窓からの風景を眺めていると、そんなところでこの街の経済水準がなんとなく想像ついた。ドライバーと老夫婦はスペイン語で楽しく会話を繰り広げているが、さっぱり理解できない。
ホテルに着くと、フロントでコカ茶を出してくれた。
丘の中腹にあるホテルからの眺めはよかった。天気もよくて空気も澄んでいて、心地よい光が中庭に射し込んでいたし、到着したばかりだけど、早くホテルを出て街を散歩したいという気分にさせてくれた。まぁ、その前にともかく腹が減った!ということの方が大きかったけど。
ガイドブックの治安情報はかなり不安を煽られたけど、昼間のクスコを歩いてみると、片手にビデオカメラやデジカメを持った老夫婦や、女性同士の観光客もたくさんいて少し安心した。
とりあえず広場近くの「プカラ」でランチ。朝もろくに食べる時間がなかったので、
ようやくしっかりと食事を取れたことで、ひといきつけた。
と、お腹も満たされたところで、一度ホテルで休むことにした。南米ペルーにやっとたどり着けたことで、テンションが高いのと、時差ボケ、それから高地であること、30時間以上の移動による疲労、治安の良くない地域で一人で旅をすることの不安、いろんなコンディションが入り乱れて、疲労があるのか無いのか、よく分からない状態になっていたのだ。
ホテルのベッドに横になり、気づいた頃にはとっぷり日が暮れて表はどしゃぶりになっていた…。